2023.06.07

生徒作品【俳句】マサチューセッツ州・W様

日本の伝統:俳句

俳句は日本の詩(し)の一つで海外でもよく知られている。

もちろん日本語で書いていますけど英語、フランス語、ドイツ語、色々の言語(げんご)で書いている作者があります。切れ字と季語(きご)は俳句の伝統です。切れ字は”や”とか”かな”です。季語は季節をあらわすことばです。松尾芭蕉(まつおばしょう)が書いた俳句は特に人気です。僕が住んでいるアメリカの友達も芭蕉の俳句を一つ二つ知っています。友達は特にこの俳句を覚えていました:

古池や蛙飛び込む水の音
ふるいけやかわずとびこむみずのおと

松尾芭蕉(まつおばしょう)は1644年に生まれました。芭蕉の祖先(そせん)は侍(サムライ)と言われています。父親はたぶん無足人(むそくにん)でした。子供のころはほぼ不明(ふめい)です。

10代のころ藤堂 良忠(とうどうよしただ)と言う人のもとで単純(たんじゅん)な仕事をしました。その人は連句(れんく)が好きで芭蕉と一緒(いっしょ)に書いていました。この時期(じき)に芭蕉は宗房(そうぼう)と言う俳号(はいごう)を選(えら)びました。1666年に良忠(よしただ)さんは死にました。その後(あと)芭蕉は江戸(えど)にいきました。

日本橋(にほんばし)で有名になりまして1674年に北村季吟(きたむらきぎん)の下で勉強しました。1680年に深川(ふかがわ)に引っ越しました。芭蕉の弟子たちは伏せ屋(ふせや)を芭蕉のために作りました。有名でも色々不満(ふまん)でした。なので、五街道(ごかいどう)に行きました。

1689年に江戸からまた旅(たび)に行きました。奥の細道(おくのほそみち)と言う詩集(ししゅう)を書きました。

1694年、旅(たび)の途中(とちゅう)に病気(びょうき)になって死にました。辞世の句(じせいのく)は書きませんでした。だが、そのかわりに最後(さいご)に書いた和歌(わか)があります:

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
 たびにやんでゆめはかれのをかけめぐる

芭蕉の俳句にじゅうようのアイデアと言うなら侘寂(わびさび)です。侘寂(わびさび)は日本の伝統的な美学です。現代西洋(げんだいせいよう)の美学ではギリシャの美学は実(じつ)に大切で、日本では侘寂(わびさび)は同じぐらいに大切です。侘寂は“侘(わび)”と“寂(さび)”の複合(ふくごう)です。“侘”はしずかと簡素(かんそ)の生き方と言う意味があります。寂(さび)は単純(たんじゅん)に言うと寂しいというそのままの意味です。だが、哲学的の意味はシンプルと同時に優雅(ゆうが)です。侘寂は三法印(さんぼういん)と言う仏教の考えから来ました。この仏教の考えはどうしてもこの世には無常(むじょう)、苦(く、くるしみ)と空(くう)は存在(そんざい)するものと言う。侘寂は簡単(かんたん)に言うとこの世には完璧(かんぺき)な物はない、だがその事実(じじつ)は美しいと言うことです。
これは侘寂を理解(りかい)するために、僕が書いた俳句です:

枯れ木裏沈む太陽光葉や
かれきうらしずむたいようこうようや   海蜻

まずは「枯れ木裏」です。この部分は葉っぱがない木のうらを表しています。「枯れ木」は冬をあらわす言葉:季語(きご)です。つぎの「沈む太陽」は日の入り(ひのいり)のイメージを作ります。さいごに「光葉や」と書いています。まずは「光葉」について。ここはあらたな言葉を作っています。さいしょの字は光です。だが、この場合(ばあい)「こう」と読みましょう。二つ目の字は葉です。これは「よう」と読みましょう。いみはそのまま光から作っている葉っぱです。だけど、「こうよう」と言う言葉はもうそんざいします。その言葉は「紅葉」です。いみは秋の色にかわってくる葉っぱです。なので「光葉」はまたその秋の葉っぱみたいな色をあらわします。では、ぜんたいてきのイメージは葉っぱがない木のうらに太陽がしずんでその光が秋の葉っぱにみえる。海蜻は僕の俳号(はいごう)です。海はぼくの名前からきました。僕は蜻蛉(とんぼ)がすきだし侍の中には人気でした。なので「蜻」をえらびました。ついでに、「かいせい」は「回生」と言う言葉にもなります。僕は復活(ふっかつ)のがいねんには哲学的な興味があります。

この文章では俳句と言う日本伝統の詩、松尾芭蕉と言う有名な俳人、それと日本伝統の美学、侘寂についてお書きました。